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岡畑の熱い人々

OKAHATA PEOPLE

2023.06.23

熱いリーダー

子どもがそのままリーダーになったような人

社長から

お待ちかね、

リーダーの頭の中シリーズ、第四弾。

シン・東京支店のシン・チームリーダー、張巍(またの名を、張トバー)

写真:Okahata Awards2022会場に、この格好で「張トバーでーす」って入ってきた、とにかく明るい、できる奴。

弊社リーダーの学び方(=失敗の乗り越え方)を紐解いてきた、このインタビューシリーズですが、張の記事はなかなかの難産。何せ本人から失敗エピソードが全然出てこない(周りの人に聞く限り、エピソードに事欠かないのに・笑)。最後に気づいたのは、そもそも張は、失敗を失敗だと思ってない(!)

社内社外でトラブって怒られても、すぐに反省/改善して、怒鳴った人に会いに行く。普通だとビビる局面でも、素直に「スイマセン」ってすぐ次の改善提案を持っていく(で、また怒られたりもする)。これが何度も続くので、上司同僚は大変だった様子が、今インタビューで明かされるのですが、とにかく「張巍は明るく、素直で、へこたれない」。ちゃんと学んで改善するし、明るいってズルい(笑)。いつの間にやら、距離を縮めて信頼を勝ち取っている。

僕が知っているだけでも、彼は3つの逆境/壁を乗り越えてきました。

1回目は、“縁故風“入社という逆境:
(当時の)社長の大のお気に入り、機械工学専攻でビジネス日本語はまだ話せない中国人。受け入れ側からしたら、やりにくさ/不安しかない。案の定、色々やらかしながらも社内に張巍ファンを作っていった、ビジネスマン人生の第一章。

2回目の逆境は、化学品営業への転属と洗礼:
和歌山のお客さまの「あがにあれ、たのまよー」が分からない(笑)。っていうのは、極端な例としても、もう分かってるでしょっていう前提で始まる、ビジネス日本語特有の曖昧さ、含み、言葉遣いに苦労してました。

それで最後には、中国メーカーとの交渉は張に任せたいと指名される位になり、香粧品分野のスペシャリストという新たな“得意技”も身につけました。

3回目は、オール上海人な弊社上海オフィスでの、日本採用の山東人駐在員というアウェイ感。からの、コロナ:
この二重の逆境をさらっと越えて、しかも、長年先輩たちが苦戦してきた香粧品原料販売拡大に成功!最後は上海人総経理に残留を希望され、日本に引き抜かれるように帰国。

そして、今は岡畑興産初の外国人チーム・リーダー。

そんな「明るく、素直で、へこたれない」男ですが、本人に聞くと「これでも色々悩んでいるんです」と笑い、「上海駐在の成功の秘訣は?」と聞けば「メンバーと運に恵まれました、感謝」と笑顔で返すナイスガイ。やっぱりなんかズルい(笑)。

長くなりましたが、前回に引き続き(株)シーブリーズの藤原さん、頼みます!

「子どもがそのままリーダーになったような人」

張 巍(ちょう ぎ)
岡畑興産株式会社
機能化学品事業部
チームリーダー

入社年月日:2011年4月1日
趣味:野球(阪神タイガースの大ファン)

藤原:初めまして、本日はよろしくお願いいたします。

張:こちらこそ、よろしくお願いいたします。

藤原:日本語は全く問題ないのですね。

張:最初はすごく苦労はしましたが、今は大丈夫だと思います。

藤原:それは、失礼しました。二カ国語を話せるのは羨ましいです。

張:正確に言うと、大阪弁も和歌山弁も大丈夫です。(笑)

藤原:ははは。(笑) ご出身は?

張:中国は山東省、ビールの街、青島(チンタオ)で生まれ育ちました。

藤原:名刺に「令和5年」ってハンコを押していますが、これは?

張:あ、それは「張に会ったのは令和5年だったなー?」って思い出してもらえるようにです。少しでも印象に残ってもらいたくて。

藤原:さすが営業!ところで、最初に日本に来られたのは?

張:18歳の時に、日本の文化を知りたいという気持ちが強くあって日本に来ました。人生の18年を中国で、18年を日本でですね。

藤原:ちょうど半分ですか。若い時に来られたんですね?

張:あっという間でした。最初は日本語学校で2年間日本語を学び、そのまま関西大学の機械工学部に入学しました。ちょうど大学の入学のタイミングに岡畑興産が始めた奨学金制度(清風奨学金)を知って利用させて頂ききました。

藤原:へぇー。それで、そのまま岡畑に入社を?

張:いや、ちょうどリーマンショックの時でして。機械工学を学んだのも、ロボットを作りたいという夢があったからですから、元々中国に帰る予定でした。しかし、当時の社長の強烈な勧めもあって、国際交流センターを通じて面接をさせていただいたら受かってしまいました。

藤原:ロボットですか?夢がありますね。ご兄弟は?

張:一人っ子です。

藤原:では、ご両親のこともあるし、日本に残るか/帰国するか悩まれたんじゃないですか?

張:はい、すごく悩みました。実は、実家が、私の日本留学のためにほとんどの財産を注いでくれたこともあり、帰国して両親に恩返ししたい気持ちはありました。それに、岡畑興産ではロボットは作れない。。。

でも大学の4年間、私が一人で寂しがらないように、岡畑興産の社員の方々が気に留めてくれていて、家族の一員みたいにパーティーにもよく呼んでくれたり、みなさんの人柄もすごくよくて。きっと、ここでお仕事すると楽しいだろうなぁーという思いが強くなって、受けてみることにしたんです。

藤原:で、岡畑興産に入社ということになったのですね?

張:はい。もう12年になります。

 

藤原: 12年ですか?最初はどんなお仕事を?

張:初めは管理部で、お仕事させてもらっていました。そこでは、ビジネスマナー、社会常識というかビジネスマンの基本を徹底的に教えていただきました。

藤原:上手く社会に溶け込めましたか?

張:いやいや、今でも鮮明に覚えているのは、ある日、遅刻をしてしまったんです。私の当時の感覚では、1,2分くらいはいいかなと思っていたら当時の上司(安尾さん)にこっぴどく怒られて。

藤原:でしょうね。(笑)

張:で、また遅刻をしてしまったんです。

藤原:また?新入社員なのに?(笑)

張:はい。(笑)

藤原:どなりつけられたんじゃないですか?

張:いや、二回目は安尾さんが妙に優しくて、「張くんね、一度信用を無くすと、取り戻すのに、10年かかるよ。張くんは時間にルーズだって思われると、「お客さまも待たせそう」って思うのが普通だから、大事な仕事は任せてもらえない。信用を無くすことは君にとってはとても損なことばかりで、それらを取り戻すのにすごく時間もかかるよ。」って言ってくれたんです。

藤原:なるほど。本質を教えてくれていますね。

張:あと、、、

藤原:まだ、あるんですか?(笑)

張:これも印象に残っている言葉なんですが、「納期のない仕事はない」。日本と中国の文化の違いかもしれませんが、私は「日本はルールが多いなー」「報連相ってそこまでするのー?」みたいな感じがすごくありました。そんな私を察したのか、安尾さんが「仕事には必ず、始まりの時間、終わりの時間(納期)がある」ってことを先ほどの「時間を守る」と同様に丁寧に根気強く教えてくれたんです。

藤原:優しく叱る、いい上司ですね。

張:怒鳴られてばっかりだったら、今日まで続いていなかったかもしれません。3年間、本当に勉強になりました。

藤原:その後は?

張:希望だった大阪営業チームに配属になりました。

藤原:営業されたかったのですね?ようやく3年の努力が報われて、大活躍?

張:いや、そこでも色々ありまして。。。

藤原:なんでしょう?

張:初めの1年は、上司(萩田さん 「あなたの当たり前の基準」を上げたくて・・・)や先輩方と一緒にペアで動いていたので、なんとかなっていたのですが。

ひとりで動き出した2年目は、もう大変。中国人ですし、中国からの原料ソーシング担当だったのですが、コミュニケーションや専門性、とにかく力不足でお客様を困らせてしまいよく怒られていました。

藤原:ニュアンスみたいなところがなかなか伝わりにくかったんですかね?

張:ニュアンスもそうですし、お客様からすると1から説明するのも面倒なので「例のあれ、前と同じような感じで」みたいな指示が来るのですが、私にはわからないので質問ばかりしていました。するとある日、お客様が「担当を変えろ!」って本社に乗り込んで来られて。

藤原:で、担当変更??

張:いや、そこで上司の萩田さんがお客様に「もう少し、辛抱してください。担当を変えても、お客様の要望のニュアンスは日本人にはわかりますが、中国の工場にそのニュアンスを伝えるのは張の方が間違いなく伝えられます。張はまだ日本語の細かいニュアンスは厳しいですが、もう少しだけ、辛抱してください。商社の我々としてはきっと、後々にいい結果を出せると確信していますので、申し訳ありませんがもうしばらく辛抱してください。」って、頭を下げてくれたんです。

藤原:お客様は納得されたんですか?

張:はい、ご理解してくれました。後で聞くと、萩田が影でかなりサポートしてくれていたみたいですが。

藤原:確かに中国の工場からすると、営業が母国語で話してくれた方がニュアンスも伝わりますね。でもその反面、日本のお客様にその辺りのコミュニケーションを我慢してもらわないといけないのは、ちょっとモヤモヤするところもありますが。

張:ここだけの話ですが、初めての上海出張では、上海駐在経験のあった萩田が中国語の通訳をしてくれたり。。。

藤原:ん?

張:空港で乗ったタクシーで、私の中国語が運転手に通じなかったんです。

藤原:あー、中国にはいろんな方言というか、地域によって言葉が違うっていう?

張:そうです。上海だと「そこを右に曲がって」というのを、「小さく回って」って表現するのですがそれが分からない。萩田がさらっと通訳してくれました。

藤原:マジですか?

張:はい(笑)。日常言葉の通訳も出来ないのに、ビジネスの通訳なんて出来るわけがないぞって、出張初日から自分自身でも心配したのを覚えています。

藤原:でも、仕事上ではすぐに慣れていったというか、問題なく進めて行かれたんですよね?

張:これ以上、上司やお客様に迷惑をかけられないので必死でした。一番苦慮したのは日本のお客様の品質の要望、中国工場の品質のギャップをいかに埋めていくかでしたね。それも中国人目線で。

藤原:どう、埋めていかれたのですか?

張:中国人である強みを生かして、とにかくお客様と一緒に中国工場に行って、現地の状況や問題点などを直接見ていただき、理想と現実のギャップを少しづつ埋めていったりしてました。現地に行けば、その環境や空気感、必死に交渉しているプロセスもよく分かってもらえます。食事やお酒も飲んだりして、お互いの関係性を深めていくっていうか本音で話し合う。まぁ、商社の基本といえば基本なのですが、そのうちお客様も私の交渉を信頼してくれるようになって。

藤原:本音の関係性を築き上げられたんですね。

張:信頼というか、信用していただけるようになったのが大きいです。

藤原:なるほど。で、ずっと営業を?

張:いや、営業を5年ほど経験させていただいた後、上海に転勤になりました。

藤原:それはよかったですね。念願の中国勤務。

張:お客様から、もう少し日本でいてほしいって言われた時はほんと嬉しかったです。

藤原:営業冥利に尽きますね!

張:しかし、、、

藤原:なんでしょう?また何かしました?

張:上海に転勤になったのが、2019年の11月で。

藤原:あー。

張:コロナが始まって、とても厳しい状況の中、上海での仕事がはじまりました。ロックダウンやゼロコロナ対策、厳しい状況でした。

藤原:これまでの営業経験を本格的に活かせる時に。。。。

張:でも、私はポジティブに考えていました。私の出来ることを精一杯しようと。ブログ発信も結構やりましたね(笑)

2022.01.26:北京オリンピックとコロナ事情~上海より

2022.06.20:上海ロックダウン日記

何よりも注力したのは、開発営業でした。上海の総経理のサポートをしっかりしながら、新規の獲得に乗り出しました。上海では商流というのが無いに等しいので、1ユーザー・1商品ではなく、1化学品・多ユーザーの発想で、中国のユーザー様との契約が増えていきました。

藤原:オンラインですよね?

張:そうですね。会える時はもちろん対面もありましたが、一番の収穫は中国での商いが増えていくと、人脈がすごい勢いで増えるんです。メーカー側もお客様側も。

藤原:へー。

張:日本と中国の1番の違いはスピードなんですね。買うか買わないかがはっきりしてるし、この金額もここまでとか明確なので、こちらが能動的に動けばこの危機はなんとかなると思ってました。

藤原:あの状況でそれが出来るなんて素晴らしいです。

張:いえいえ、とにかく動かないと始まらないと思っているので。たとえば、私は野球が大好きなんですが、飛び込みで中国でも野球関係の方々との交流を深めていって、他の業種の方にもどんどん人脈を増やしていきました。

藤原:ポジティブですね。あー、それで、Okahata Awards2022ではヌートバーの格好をして、円陣を組んでたんですね?(笑)

張:さぁ〜、行こう〜って、モノマネして言ってましたね。(笑)

藤原:で、今は東京?

張:はい、昨年から東京の営業のチームリーダーをさせていただいています。

藤原:お、10年で信頼を取り戻せましたね!(笑)

張:10年かかりましたね。安尾さんの言うとおりだ。(笑)

藤原:チームリーダーになると仕事のやり方も今までとは変わってくると思いますが、何か気をつけていることはありますか?

張:やはり、「チームで働く」ということでしょうか?これまでの私を振り返ってみても、先輩のアドバイスがあったからこそ乗り越えられたことばかりでした。今の私は「チームで動く大切さ」のサポートすることに重きをおいてます。ベテランの人は「個人行動」しがちですし、若手の人は「報連相」が苦手だと思うんです。

藤原:確かに、それはありがちかもしれませんね。

張:私が何も言わなくても、チームが勝手に動き出すような。あとは、リアルを追求したいというか、現場での経験を大切にしたいと思ってます。

藤原:チームが“無意識的有能“っていうことですね。リアルの追求というのは?

張:この3年、コロナ渦の中、チームのみんなは中国との交渉や会議をオンラインや電話、メールなどで本当によくやってくれていました。多分、彼らは中国の仕事のやり方を理解したと思っているかもしれないのですが、それは大きな間違いだと思ってます。やっぱり、現地に行って直接話して、空気も感じないといけないですし、現場での信頼関係が生まれてやっと中国の仕事を少しだけ理解出来たと言えるんじゃないですかね。

藤原:張さんが言うからこそ、説得力のある言葉ですね。それはやっぱり、これまでいろんな人から学んだことがベースになってるんでしょうね。

張:そうかもしれません。あと、これまで私に接してくれた人全員にお礼をしたいと思っているので。感謝から生まれてくる信頼関係はやっぱり、オンラインでは生まれないと思うんです。

藤原:感謝から生まれる信頼関係ですか。

張:今の私の状況は、自分一人の力では絶対に無理だったと思います。人は助け合いながら成長すると思いますし。だから、私を教育してくれた人たちやフォーローしてくれていた人たちには頭が上がりません。

藤原:色々と失敗を重ねて、それが成長につながっていったのですものね。失敗からたくさん学んで、それが感謝になっているのが素晴らしいです。だから、いつも明るくて凹んだりしないって言われているんですね。

張:凹むことは、まずないですね。初めて日本に来た学生としての6年間よりも苦しい経験は、まずないと思っています。あの頃に比べたらこれまでの苦労は凹むというより、むしろ楽しいです。

藤原:さすがですね。これからも明るく、会社のムードメーカーになって、周りの人を元気にしてください。時間が少し押してしまい、申し訳ないです。今日は貴重なお話ありがとうございました。

張:こちらこそ、ありがとうございました。ヌートバーの服装で来たらよかったかなー?

藤原:あ、大丈夫です。時間、大丈夫ですか?次の予定に遅刻しますよ。早くお客様のところに行ってください。(笑)

張:よーし、さぁー行こうー!

藤原:・・・。 ありがとうございました。
 
 

編集部より
あの明るさや人柄の裏には色々な経験と、先輩やお客様を愛しているからこそ出てくるんですね。私たちも見習わないと。社長の冒頭の話とインタビューで彼の人間性が少しわかった気がしました。何事にも感謝を忘れてはいけませんね。

次回は、機能化学品の最後のチームリーダー、山田のインタビューを予定しています!お楽しみに。

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