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2020.11.02

沓・靴・靴型(ラスト)の今昔(前編)。大山社長にインタビュー

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今回は趣向を変えて、靴型(ラスト)工場の大山社長へのインタビューです!

 

くつナビ  神戸長田で営業されていますが、長田ってどんなところですか?

大山社長  神戸の長田区は、ケミカルシューズ発祥の地です。皆さんの履いている『靴』、について少しうんちくを申しますと、諸説有りますが、神戸は、明治以降、生ゴムの輸入が盛んでした。大正時代に入り、その生ゴムを薄く伸ばして裁断して『ゴム沓(くつ)』の製造を始めました。
その当時は、『靴』の事を『沓(くつ)』と書いていました。
テレビの時代劇で長い爪楊枝を口にくわえて登場した『沓掛時次郎』の『沓』です!!)

 

くつナビ  知っている人は少ないですよ。今の時代。。。長田地区に入るとゴムの匂いがしますよね。

大山社長  生ゴムを使ってゴム沓(くつ)を作るのには薄く延ばした生ゴムを沓型に貼り付けて加熱成型します。加熱成型は、『加硫』といって沓型にゴムなどの甲皮を馴染ませる作業が有ります。そのために、生ゴムの場合は蒸気を用いた、『加硫釜』で高温の圧力をかけて成型していました。

当時、地方から集団就職できた人たちは、神戸の長田地区は凄い!温泉が湧いている! 街中のアチラコチラで白い水蒸気が、シューと噴出しているのを見て温泉の蒸気と間違え、温泉が湧いていると思ったそうです。実は、高熱で加硫を終えた加硫釜の蒸気を抜いている光景でした。

くつナビ  おもしろいですね。その表現。硫黄の匂いもするし、蒸気もあがっているし、温泉があるんかと。

大山社長  そうです。その後、生ゴムが手に入り難くなり、ケミカル素材(合成皮革や、綿布)や革を使って靴作りを始め、『沓(くつ)』のことを革が化ける(??)で、『靴』と書くようになりました。

くつナビ  革靴の仕上げ工程で革が化けるのと繋がりましたね。

 

大山社長  靴の素材がゴムからケミカル素材に変わることで、高温の蒸気釜から、余り温度を上げなく済む電気釜に変わりました。
ゴム長靴や、スポーツシューズ等で、生ゴムを使っている靴は今でも蒸気釜を使用しています。
この高温に耐えるために、神戸ではアルミ製の靴型が作られました。

くつナビ  なるほど~それでアルミ型なんでんすね。

大山社長  靴型には、木製の木型、アルミ製のアルミ型、プラスチック製のプララストが有ります。アルミ型もプラ型も無い時代、古くから現在にかけて靴を作る時には木型を使用していました。
材料は、『水目桜』と言ってとても硬い木でしたが、品不足でとても高価なため、現在では、欧州産の、『シデ材』を使用しています。昔の荷車の車軸に使われているような硬い木です。
アルミ鋳物用の材料は、『桂』材を使用していましたが、最近、良質な桂材が不足している為、他の軽い木を使用しています。

 

くつナビ  アルミ型は鋳物で作りますよね。

大山社長  そうです。アルミ製の靴型は、砂型鋳物で製造します、そのために、アルミの収縮率12/1000を見越した現物より大きめの木型を作成して、その木型で、600度に溶解をしたアルミを鋳込みます。
アルミ型は、プラ型と比較して安価な為、また、熱伝導率が良く、早く温もり、早く冷めるため靴の生産性が良く、ケミカルシューズを作る上で最適な靴型です。
ただ、鋳物の為に精度に少し問題が有りますが、大量生産を得意とするケミカルシューズ業界に圧倒的に支持されています。

くつナビ  なるほどね。いまは大抵プララストですよね。

大山社長  ケミカルシューズも大量生産が少し下火になりかけ、高級化に舵を切るメーカーも増えつつあり、精度の高いプラスチック製の靴型、プララストを使用するようになりました。
今では、アルミ型とプラ型の弊社の生産は、木型は別として、プラ型80%、アルミ型20%と、圧倒的にプラ型の勝利です。

くつナビ  時代の移り変わりですね。

 

大山社長  長田で、靴型の事を、ラスト(LAST)と呼ぶようになったのは、神戸の大震災以降のような気がします。それ名では、ただ単に、『型』とか、アルミとかで呼んでいました。

くつナビ  へ~そうなんですね。あくまで長田用語かとは思いますが。。。(笑)

 

大山社長  1995年1月17日午前6時56分、未曾有の神戸淡路大震災が早朝の神戸を襲いました。この震災によって、多くの靴メーカーが倒壊、消失し、内職、ミシン加工など、分業化が確立していた神戸システムも、震災により、点在する仮設住宅分散され、システムが崩壊してしまいました。

くつナビ  その時は大変でしたからね。私は大学4年生でしたが、その年に入社して、復興していく街を見ながら神戸地区の営業も回っていました。25年ぐらい前ですね、思い出します。

大山社長  靴メーカーも、大阪、東京、広島、四国など、震災に関係なく無傷で操業できる靴メーカーは多く有りましたが、靴資材の大半が神戸から各地に供給していた為、全国各地に靴資材が供給できず、問屋さんたちは急遽海外生産に切り変えて直接輸入し、また、神戸の靴メーカーも国内生産が出来ない為に海外へと進出して行きました。

くつナビ  確かに海外生産への移行が始まったのもこの年からでした。
それでは、大山社長、どうもありがとうございました。
次回はラスト製造について教えてください。

(お話を伺った人) お客様の実現したい各種靴型を提供している 創業1966年 有限会社大山 大山 義勝社長
www.oyama-last.co.jp

(お話を聞いた人) 岡畑興産 靴チーム一筋25年 ベテラン事業部長T

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