お問い合わせ

岡畑興産ブログ

BLOG

2022.01.26

ゼロコロナ隔離日記~上海より~

隔離生活の経緯

出張帰りの新幹線の同車室にコロナ感染者と濃厚接触者がいて、小職は間接接触者と見られ、上海に戻った2日後の朝、通勤途中に上海の防疫局から電話かかってきて、間接接触者ことを説明してくれたうえ、お前は隔離して貰うと言われ、急いで生活用品を用意し、家でピックアップ来るまで待ってろと指示されました。

隔離は何日と確認すると、隔離ホテルに聞けと回答され、はいはいと言ったら、電話切れた。態度悪いなあ、俺は間接接触者だけだろう、犯罪者じゃねえよと言いたかった。出張帰りは12/17(金)、隔離開始日は12/20(月)。

防疫局でも土日お休みかな?笑。

 

ピックアップ何時来るのか教えてくれないので急いでコンビニに寄って、僕にとって大切な生活用品タバコ3週間分と使い捨てタイプ紙パンツを10枚を買って、家に11時頃戻った。そして、生活用品(コップ、茶葉、ライターx3個、各種充電器、外出できないから服は特に用意しなかった)をスーツケースに入れて、隔離前の準備を終えた。

午後2時ごろ、電話がかかってきて、住所を確認された後、15分くらいで車がきた。

待ち合わせはアパートの入り口ではなく、近くの道路。アパートの近所の人に迷惑かからないようの為かな。そして、隔離者専用の車に乗って、隔離ホテルまで運んでくれた。隔離ホテルは家から車で約25分、ビジネスホテルだった。

ホテル名は聞いたことがあるが泊まったことがない。一泊高いから泊まったことがないではなく、安すぎホテルで施設古く、利用する気が全くない。「格林豪泰」ホテル、1泊150元(2,500円)。

 

ホテルに着いて、名前、身分証明書等確認され、誓約書を書いて、チェックイン。328室だった。隔離は何日?と聞いたら、後で部屋に電話すると言われた。誓約書は下記添付。

328室に入ると、10平米あるかないかの広さで、やはり施設陳旧。タブルベッドとテーブル一台でほぼ場所を占めた。急いで荷物置いて、パソコン取り出して、会社に隔離をメールで報告した。

入居後3日目、電話かかってきて、とりあえずお前14日隔離して貰うと告知された。14日間もし症状が出たら、軽症だったら、今のホテルで治療。

もし中重症だったら、病院に引っ越し。あと、もし隔離中のあの人(コロナ感染者と濃厚接触者)が陽性になった場合、お前だけでなく、一緒に住んでいる家族皆、上海に戻った後接触した方、全て隔離して貰うと提示された。

じゃ、あの人は誰?何処の人?僕の隣席に座っていた人或いは前、後ろ席に座っていた人?知りたくて、教えてくれと要求したら、知らないと言われ、電話切れた。またその態度?チキショウ。

隔離生活の実態とは

隔離中の生活を纏めて報告すると、

1)14日間、計7回PCR検査を受けた。1日/2回体温測定、朝7時と午後2時。PCR検査は不定時、朝もある、夜もある。

2)体温測定、PCR検査、弁当を取る時以外、ドアを勝手に開けたら駄目。具合悪い時、電話で報告しろ。

3)う○こする前、消毒剤を便器に必ず入れてからする。

4)部屋清掃、タオル交換はしてくれない。

5)1日3食は弁当。朝は軽食(肉まん、野菜まん、豆乳)昼と夜はご飯。夜1食の写真を

取ったので下記添付。

<隔離中の食事>

6)場所ないから最低限の運動ができない。3日目から便秘になって、苦しい。

7)昼間は仕事があるのでメールでやり取り、またお客さんに電話し、隔離苦情を報告しながら同情して貰って、仕事に有利になるかもしれない。夜は家族にWechatで電話する。終わったら、TVみる。それがだいたいの一日の隔離生活だった。

 

ぴったり14日目(1/3)の朝、最後のPCR検査を受けて、陰性だったので午後3時解放された。来る時は、お迎えがあったが解放され、帰る時は、自力でホテルから離開しろと言われた。

隔離生活を終えて

14日軟禁の生活を体験した僕は今までの認識を変えた。今までお金が第一と認識していたが今はそうではなく、自由が第一だと認識を入れ変えた。自由がなくなると何より辛い。

隔離中、会社の同僚とWechat電話で話す時、隔離中一番やりたいことは何?と聞かれ、

一番やりたいことは「アメリカに行って、自由の女神像を抱いて、濃厚なキスしたい」と回答した。

そして、隔離後、出勤初日に、涙が出てくるくらいのプレゼントを頂いた。

 

<同僚からのプレゼント>

facebook

twitter

line

CONTACT

ご相談・お問い合わせはこちらから

ご相談・お問い合わせ